・常識でわかるニセモノ
先日、知り合いの方から「品物を見てくれないか?」と頼まれました。
その方は一般の骨董ファンで、手に入れた陶器を見て欲しいとのこと。作者はずいぶん前に亡くなったものの、現在も高額で扱われているトップクラスの陶芸家です。私も何度か扱ったことがある作家ですし、オークションや古美術商の会で目にする機会も少なくはありません。しかし、既に亡くなってから時間の経っているこの作家には専門の鑑定人(※)がいて、厳密に言えば作品の真贋を正式に決められるのはその方だけです(裸になってしまった作品が真作の場合、箱書をいただくこともできます)。私は、この鑑定人に見てもらうか、美術商に見てもらうにしてももうちょっと良い方(?)~先輩筋にあたる目利きの大手古美術商を紹介しますと言いました。が、知り合いということもあり、ともかくまず私に見てもらいたいと言うのです。仕方なく出かけることになりました…。※所定鑑定(人・団体)…故人となっている作家の鑑定で、遺族・関係者・関係団体などが正式な鑑定機関になっていること。その作家の品が流通する際、所定鑑定に通っていなければ基本的に本物扱いとならない。なお、所定鑑定とは別に関係者・店舗・評論家等が鑑定や極書をするものもあり、こちらは信用度の高いものから低いものまで様々。
依頼人の応接間に入ると、テーブル上に箱に入ったままの「それらしき物」が置かれていました。現代陶芸(作家物)・古陶磁器に関わらず、高額になればなるほどデキの良いニセモノが存在します。そういった物の判別や説明には難しさを伴いますが、目の前にある作品は、まだ箱も開けていないのに早くも「ダメなオーラ」が…。
その箱は共箱でした。つまりこの作者本人のサインが入った箱です。が、どうみても触れば手にオガクズが付きそうな、最近作ったばかりの箱&箱書にしか見えません。作品が高額なため大事にしまわれていたというケースはあるでしょう。二重箱と言って、共箱を保護する外箱がある場合もあります(この作品は二重箱ではありません)。しかし、それを考慮しても木材には多少の「経年変化」があるものです。
例を挙げれば、北大路魯山人が亡くなったのは昭和34年。富本憲吉が亡くなったのは昭和38年。私が見た作者も数十年前に亡くなっているのですが、関係者や所定鑑定人の箱書ならともかく、出来立てホヤホヤの箱に「本人のサイン」が入っているわけがありません。「作品の真贋を見極めるポイント」などという以前に、常識的な判断ができればこういう不自然な物を買う危険性は大幅に減ります。箱がダメとわかれば中身を見る必要もありません。本物の箱にニセモノが入っていることはあるでしょう。本物の箱で釣ってニセモノを売ろうと考える人もいるからです。しかし、ニセモノの箱に本物が入っているケースは、ちょっと考えられません。わざわざニセモノの箱を付けて価値を下げるくらいなら、まだ裸の方が売れるというもの。これも考えればわかることでしょう。
私が言うのもおこがましいですが、ニセモノに何度も引っ掛かる人、わかりやすい物に騙されてしまう人は、そういった「ごく基本的な推理力(あるいは注意力)」が欠けているように思うのです。「エルビス・プレスリーの直筆サイン入りCD」と聞いて、大抵の人は「なワケないだろ」と突っ込むでしょうが、疑いを持たない人も恐らくいることでしょう。何しろ、思い切り印刷の絵や、果てはポスター・絵葉書まで「ルノワールとありますが…」と言ってくる方もいるのです。このサイトをご覧の方には信じられない話かもしれません。しかし、何百、何千万もする肉筆画とポスターの区別が付かない方も極めてわずかながらいるのです(ここまでくると「推理」がどうという話ではありませんが…)。それから比べれば、出来立ての箱がわからないことなどまだマシな話なのかもしれません。
確かに、美術・骨董の世界にニセモノは存在します。が、そういった物の多くは、意外と常識的な推理や判断で見抜けるのです。今回のように、箱などの付属物がおかしい場合もあるでしょう。売られている状況や価格が不自然な場合も多くあります。作者の名前に惑わされず品物そのものを見れば「単なるデキの悪い作品」かもしれません。繰り返すようですが、こういった品のほとんどには、知識の有無に関わらず冷静に見て「おかしい」と思えるポイントが必ずあるもの。目利きの古美術商が引っ掛かるような凄いニセモノ、現在では「本物」として流通しているような「超一級のニセモノ」を心配するのは、美術・骨董の世界に大きく踏み込んでからの話です。
鑑定の話に戻ります。箱だけ見て「ニセモノ」というのも何ですので一応中身も見ましたが、やはり見事にダメでした。最悪なのは、箱は勿論、作品や作品を包む布(共布=ともぎれ)までニセの印やサインが入っていたことです。勿論、全く新しい布に「本人の印」が押してありましたが、こういう物を作る人は一体どういう気持ちでサインや印を入れているのか…。いや、もう麻痺しているのかもしれません。ちなみに、作品そのものもその作家を模して作られていましたが、大抵の場合こういった物は細かい部分の作業がいい加減になっていてすぐわかります。そこまで見なくても、パッと見が全くダメではあったのですが。
しかし、依頼人に「私の見解」として軽く意見を述べると意外にも「やっぱりね」みたいな感じで落ち込む様子もありませんでした。多分、どこかで安く拾ってきたのでしょう。「もしかしたら本物かもしれない…」「本物だったら大儲け…」。勿論、あるところでは踏み込む度胸も必要です。どうしてもそれが欲しいなら買ってみるのも悪くありません。この世界、拾い物がないとも限りませんし、お金を損して身に付ける知識もあります。が、常識的に見て明らかにアウトの品を買っては、それこそ「安物買いの銭失い」でしょう。
※次回、「常識でわかるニセモノ 外伝」(笑)をお送りします…。
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コメント
モノを見るとき、特に買うときは、冷静さだけは失っちゃいけませんね。もちろん何事においてもそうでしょうが。広がる夢も、自分を失ったら残るのはアウトの作品のみ・・。悲しすぎます。
木版画(富嶽三十六景の再版)を「これ、銅版画だね」と彼女に説く、学生風の男の子を見かけたことがあります。「ルノワールの絵葉書」に比べたら、些細なことかも知れません。
Posted by: ハギワラ様
>>木版画(富嶽三十六景の再版)を「これ、銅版画だね」と彼女に説く、学生風の男の子…
うーむ、もし横にいたら「んなわけないだろ~」と突っ込んだかもしれません…。
正直に書くと、ずいぶん以前私も同じようなニセモノをつかんでしまった事があります(よろしければ、カテゴリー/陶器・古美術~「失敗はしたものの」という記事をご覧下さい)。
どこかに「製造元」がいるんですよねぇ、これが…。 業界全体の信用も下がるし作家の相場も下がって損なのですが、こういう行為はいつの時代になってもなくならないのでしょう。
Posted by: @bijutsubaibai