・書を見て作品を見ず

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 美術商という仕事をしていると、いろいろな方の家へ訪問する機会があります。それが一般の方の場合、「鑑定」や「招待」も多いのですが…。

 まず鑑定ですが、私はそれほど請け負うことがありませんし、幸いにして今まで良い方ばかりでしたので気疲れせずに済んでいます。それだけに高い物が全くなかったりする場合、お知らせするのは辛いです…。

 厄介なのは、コレクターを相手にする場合。勿論、我々はコレクターに買っていただいて(売っていただいて)商売することも多いのですが、極めて良い美術品を持っている方は、案外他人に見せない場合が多いのです。一概には言えませんが、細々と安物をたくさん買っている方や価値の無い物を揃えている方、贋作に引っ掛かっている方ほど手持ちの「お宝」を他人に見せようとする傾向が強いように思えます。 

 以前、たまたま知り合った地元小企業の社長に無理矢理誘われ、コレクションを見に行かされたことがありました。社長自ら車で迎えに来るほどの熱の入れ方。もう「お宝」を見せたくてしょうがないのです。一方、こちらも古美術品の売り買いで仕事をしている身。何か買ってくれる(売ってくれる)かもしれず、嫌な予感のするなか行ってみたのですが…。

 まさに驚くほどの「物の山」。陶器をはじめとした骨董品が、本当に「山ほど」あるのです。 が、とうの昔に亡くなって話題にならなくなった作家の品や、まずニセモノだと思える僧侶の書とか、そういったものばかり。別に本人が好きで集めているのですから構わないのですが、延々と笑顔で品を説明しまくられたのには参りました。(私から見て)2、3千円の物をさんざん熱く語られ、こちらはもう気のない相槌を打つしかありません…。

 それと、勿論全員ではありませんが、こういった方にはもう1つ特徴があると感じました。それは美術年鑑とか名鑑とか、そういったものを教科書にして勉強していることです。美術年鑑や名鑑というのは、作者のプロフィールや客観的な評価額(○百万円)などが羅列してあり、私も参考にしている本です。が、あくまで補足ですし、書いてある価格は古物取引においてあまり参考にはなりません(強いて言えば、美術年鑑の評価額は「表面上の作家の格」を示していると言えるでしょうか?)。ネットオークションを見れば「評価額○十万、○百万」の作家による品が、現実的には数千円程度で売買されていることも多いのを皆さんよくご存じのことだと思います。しかし、こういった方はほとんど作品の写真も載っていない文字ばかりの書に赤ペンで線を引いたり、評価額をチェックしたりして「勉強」しているのです。こうなってしまっては、もういけません…。

 作者のプロフィールや評価額を頭に入れても、ほとんど意味のないことです。陶器や絵画を見るなら、当然ですが作品そのものを見なければなりません。「木を見て森を見ず」ということわざがあります。細かいことを気にして全体が見えていないという例えなのですが、何となくそんな言葉が頭に浮かびました。でも、森の一部である木を見ている方がマシなのかもしれません。「書を見て作品を見ず」では、本末転倒もよいところです。

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