・競りの妙 ある狭い競り その1

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 あるオークションでの話。値段的にはそれほどでもありませんが、ちょっと欲しい美術品が出されていました。

 それは現代美術系のやや珍しい作品だったのですが、わかる人は少ないながらも売ろうと思えばすぐに売れるだろうという品でした。利益として大したことはなくとも、需要のある品を扱うのは美術商にとって良いこと。実利もそうですが、美術商相手にも一般の方相手にも「おっ、こいつは良い品を扱ってるな」と印象付けられるのです。値段の高低に係わらず「魅力のある品を在庫にする」「美術商として個性を表現できる品を扱う」というのは大事なことでしょう。

 仕事上ここは重要なところで、「何でも屋」「ガラクタ屋」になってしまっては美術商としてつまりません。私の知り合いでも、一流の古美術店なり人気のギャラリーでは、「並べるべき品でなければ店に置かない」というのを徹底しているように思います。

 美術商である以上、処分を頼まれたりお付き合いで買い物したりと、普段扱う品でない物を買うケースは少なくありません。誤解を恐れずに書けば、それを店舗に並べてしまうか、店舗とは別の見えない所(交換会なり業者間取引なり)で売るかで、美術商としての「一線」が画されるような気もするのです(あくまで私の考えですし、良し悪しという問題でもありませんが)。店舗では徹底して新作しか扱わない有名ギャラリーでも、実は古物を扱っている~業者仲間しかそれを知らないというのはよくあるパターンでしょう。古物を扱うのが悪いわけではなく、それを並べないことで店舗(美術商)としてのカラーを守っているのです。

 ともかく、店舗でも露店でも看板無しで「××さんの店だな」とか、画廊であれば取り扱い作家の作風で「××さんのギャラリーらしい作家だな」と思われなければ、美術商として面白くないのではと考えています。勿論、何でもかんでも扱うのが1つの個性と考えるお店もあるとは思いますが、自分で品物を作るわけでない分「品揃えの形成」や「個性の形成」が美術商の存在意義に重要な要素の1つとして存在しているのは間違いないでしょう。

 話が大きく逸れましたが、オークションの話題に戻ります。
※その2に続きます。

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コメント

私のすんでいる京都も、とうとう、熱帯雨林地帯になってしまいました。毎日灼熱の太陽とすごいスコールが繰り返されています。あと数百年後には、ジャングル化した京都で、蔦の下から襖絵が発掘されたりして・・・・・。

「商品は色々あるのに見極めた物しか店には出さない」、う~ん、我慢のしどころですかねぇ。最近京都もすこし変化してきて、大作、名作ばかり並べていては、お客さんが息が詰まってしまうという配慮からでしょうか、息抜きの商品を置くところがあります。それが実にほっとするものがあったりしていろいろと会話が弾みます(実はそれほどの一流店には行ってませんが・・・・)。ここらへんは基本的に新作を扱わない古美術店の遊びなのかもわかりません。   続報を楽しみにしています。

 コメント有難うございます。

 文章が悪いのか少し曲解されてしまったかもしれませんが、例えば手持ちの商品はいろいろあるとして、それが店に出して良いのならいくらでも出して構わないと考えていますよ。当然ながら、(本文にもありますが)物の良し悪しが値段の高低で決まるわけでもありません。また、記事の考え自体、あくまで私独自のものです。

「息抜きの商品」とはなかなか良い表現だと思いますが、そのお店ならではの個性なり品揃えがあって、はじめてその存在に気付くのではないでしょうか。そうやって「話題を提供する」のも、記事にある商品の見せ方~店主のチョイスということではないかと。

 そういった部分こそ、ネットでの無機的な取引が全盛の中にあって、美術商が存在価値を主張できる所ではないかと考えています。

暑い中、わざわざコメントいただいてすみません。残念なことに最近の若い人たちは、無機質な取引をあえて好む傾向にあるようです。対人会話が苦手というか、面倒くさいというか・・・・・。美術品もしかりですが、株でも日曜品の買い物でも・・・・・・。そのうち若者相手の「無人ギャラリー」なる物が出て、気に入った絵にクレジットカードを入れて自動販売機で買えるような時代が来るのですかね。

で全く関係無いのですが、親父の認知症介護のためテキストを見ていたら、認知症の特徴としていろいろと書いてある中で、「何でも集める」というのがありました。これって、私も認知症ということでしょうか・・・・・・・。

最後に一句 「穂が出でて 風騒ぎ 天高し」

 コメント有難うございます。雲さんからコメントをいただき、このサイトも何とか命脈を保っているといったところです(笑)。これからもよろしくお願いいたします。

 実を言えば、私も面倒臭がり屋ですし、人付き合いは苦手な方です。買い物しているときや、レストラン・ホテルなどでは放っておいて欲しいというか…。

 ただ、何度か記事で書いている通り、美術商は「人を買われている」という側面が否定できません。「この店で買いたい」「この人から買いたい」というのがあるはずです。いくら私が面倒臭がりといっても、美術商という仕事を選んだ以上コンビニと同じ売り方をするわけにはいかないでしょう。美術商には美術商の、コンビニにはコンビニの商売があるというものです。

 その付加価値を認めてもらえるのか、美術商としての存在意義が問われるところだと思います。

はじめてコメントします。
毎回、興味深くコラムを読ませていただいています。ついつい、あれもこれも買って広げてしまいます。そうすると、なぜか統一性のないしまらないものになってしまします。
 しかし、自分が住む田舎では、この統一性を保つというのはなかなか難しいかなとも思います。薄い客層の中で、自分のカラーをどのようにしたら保てるか、ということに日夜腐心しています。

 コメント有難うございます。同業の方のようですが、私も同じようなものです(笑)。

 あれこれ買っているようでも自分の好きな物~特徴のある品を買っている場合もありますし、在庫を組み合わせて統一感のある品揃えを出せるかもしれません。また、本文にもありますが、何でもかんでも扱うのが個性という場合もあると思います。

 見せる側としては、仕事としていろいろ考えたいところですよね。

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